これができないあれはしたい

身バレは覚悟してます。

3月32日みたい

※一発書き。また後日清書します

 

 髪を切った。反抗期の象徴である脱色した真っ赤な髪を。お団子にして高座に上がるため伸ばし続けていた長い髪を。

 

 4月1日付で入社、晴れて社会人の仲間入りとなるが、弊社は入社式がなくなり、二週間の自宅待機となった。春休み続行!と見せかけてまあその間もちゃんとお給料が発生しているのであのほんと、サイレントに社会人突入しちゃったなあという感じ。え、ならまだ髪切んなくてもよかったんじゃない?ってか別に髪そのまんまでもいいよって言われとったよね?ああまあそれはけじめです。

 

 4つ前の春、私は「創立者が奥さんと出会ったアメリカの大学を日本風に当て字で表記した大学」に不本意ながらも入学した。このネーミングからもわかるように偏差値の低い大学である。就職にも弱く、親類に言ってもアルカイックスマイルを向けられるような、そういう大学である。そもそも東京に出たかったのはラジオアナウンサーにあこがれていたからであり、大学にブランド力がない、というのはもう私の夢に届かないということも示唆しているのであった。

 そんなわけで夢も希望なーにもなくて。だからいっそオーランのサークルに入ってパリピになろうと思ったんですよ。私の想像する「大学生らしい」感じね。頭茶色く染めてさ、ピアス開けてさ、せっかく一人暮らしだし朝まで飲んで彼氏の2人や3人も作ってさ。でも結局染めたのは毛先だけ、ピアスも開けなかったってのは音声表現や舞台に立つ魅力から逃げられず落語研究部に所属してしまったからである。

 マジで所属「しちまった」って感じなんですよ~。あんまり言ってないんですけど実は両親にに反対されてましてね。二人とも同じ大学の出身で「落研陰キャのやばい人しかいないから!あなたの思い描いているような大学生活(前述)は送れないよ!」とのこと。いや言うて一世代前の話ですやんか?部室にいたかすてら先輩をはじめ明るくて思ったよりポップな感じなんですよと、そして私もいい加減大人になりますよと!かくして私は晴れて仲間入りを果たしたわけですが、確かにポップ、ポップではあったけどほとんどの部員が髪は染めて暗めの茶髪、素爪が基本、「魁!男塾」がバイブル化されているなどなんか、今考えると構内大半の学生とはちょっと違っていた。

 

 デビューの寄席は全然声が出なかった。図書館でやったときははるか昔のOBに「ネタがあっていない」と言われ不貞腐れ、大学祭ではほとんどウケず、いやまあ辞めるつもりもないけど私落語向いてないかなあと思い始めていたのがこの頃だった。そもそもお笑いをほとんど知らずに人生を送ってきたのだ。1年生だからといってもこのマイナスからのスタートはちょっとなあと。そもそも標準語の司会とかMCとかができたらなあって思って入ったんだからサイレントに消えてしまっても・・・と。

 

 1年生の2月だった。冬の大会前日にある落語会に出た。ウケた。褒められた。すっごくうれしかった。でも先輩らを見て果たして私は来年、再来年あのレベルまで到達できるだろうかと不安になった。だから2年生は、うーん、なんていうか、そうだな、「やべ。めっちゃがんばろ。」と思い、めっちゃがんばったのであった。

 

 めっちゃがんばろうと思った結果ネタはこの1年間で自作と大ネタ各1本ずつを含む13本、5週連続依頼、大会四つ出場という、いやほかにもっとすごい人がいるのは承知の上だけど個人的にやばい1年だった。あーあと大学祭の担当にもなったんだったわ。あんまし記憶もない。ただ、秋にあった大会の本選会で結果を残せず一人電話をしながら涙した梅田の景色はよく覚えている。

 

 実習や就活があってラスト2年は2年生のときほど落語に集中できなかったけど、夏の大会で同期が決勝に上がったり秋の大会で先輩が決勝に上がったり後輩がどんどん成長していったりすることに対してえも言われぬ喜びを感じるようになった。2年間ラジオのお手伝いをして「天才」を前にすぱっとこの業界もあきらめた。そうかみんなこうやって大人になっていくんだ。裏方に徹するようにどんどん承認欲求や自己顕示欲も落ち着いていくんだね。だから4年はのんびり

 

 

 

 

 なわけなかったよ。結果的にのんびりになっちゃったけど通常通りギアが入ってれば夏の大会にも出たかったし秋ももっと頑張りたかった。冬の大会は終わって震えるほどで、個人的によかったなと思うけど悔しいもんは悔しいし、それにそれに最後に卒業寄席もやりたかった。これだけいろんな感情いろんな経験を与えてくれて、がったがたのメンタルを支えてくれた他大も、自分のところも、かかわった人々にありがとう、こんだけ変われましたよって見せたかったな。

 

 今までのこと、まとめて編集してマクラで話す予定だったんですよ。本当に本当にありがとうございました。いつもいつも感謝しております心から。稽古会がある。部室に行けば誰かいる。週末は依頼があるか誰かが寄席開いてる。そこを訪れなくてもその事実が私の支え、安心、大丈夫であったといっても過言ではありません。あーなんかほかにいいエピソードあったはずなんだけどな。なんか、ね、セーブポイントというかなんというか・・・やめよ上手いこと言えんわ。

 それが急になくなって。卒業式も卒業寄席も追い出しのイベント一切なしにぽんと社会放り出されたって実感わかないよ。4月1日というよりまだ3月32日の気分だ。